新聞販売店の配達メモには、届け先の一覧のほかに、店主が配達員へ頼む小さな用事が書き込まれることがある。
旭町商店街の北の端には、押しボタン式の信号がある。昼間は買い物客がボタンを押し、歩行者側が青になるのを待って渡る。夜中にこの横断歩道を使う人は少ない。商店街の店はどこもシャッターを下ろし、3時台に通るのは新聞配達のバイクと、ときおりの車くらいだ。
その新聞販売店に残っていた1月20日の配達メモには、担当区間の脇に「北の信号 3・14 確認」と書いてあった。3月14日の予定ではない。配達中に、午前3時14分の信号を見てきてほしい、という店主の松田敏文さん(仮名、61歳)からの頼みだった。
2022年1月20日、その確認を頼まれた配達員の長谷川康文さん(仮名、54歳)が、この横断歩道で車にはねられた。時刻は3時14分ごろ。腕と足に打撲を負った。白い車は止まらずに走り去り、警察はひき逃げ事件として調べている。
長谷川さんは、歩行者用の信号が青になったのを見てから渡ったと話した。押しボタンの箱では、着いたときから「おまちください」の表示が光っていたため、自分ではボタンを押していない。ほかに待っている歩行者も見なかったという。
近くに住む戸崎信茂さん(仮名、76歳)は、衝突音を聞いて外へ出た。長谷川さんが自分で歩道へ移るのを見て、119番したという。救急車を待つ間、戸崎さんは歩道に落ちていた橙色の破片を拾い、後から来た警察官へ渡した。
この信号では、2021年12月2日から、毎晩3時14分に歩行者側を青にする要求が入った、という機器の記録が続いていた。要求は、ボタンが押されたときに受け付けられる。昼間の時刻はばらばらだが、夜中には同じ時刻が並ぶ。信号を管理する担当者が点検を進めている。残るのは要求を受け付けた時刻だけで、押した人の姿は記録されない。
担当者によると、ボタンの中の接点が霜や湿気で触れ合っても、押されたのと同じ要求が入ることがある。ただ、その場合は冷え込む夜ほど回数が増え、時刻もまちまちになる。この信号の夜中の記録は、雨の夜も晴れた夜も、3時14分に1回だけだった。担当者は1月13日にボタンの箱を新しい物に替えたが、その夜からも3時14分の要求は続いた。
私は1月25日の夜から26日の未明にかけて、交差点から約20メートル離れた場所で様子を見た。2時50分から3時30分まで、人も車も通らなかった。3時14分に待ち表示が光り、しばらくして歩行者側が青になった。私は道路を渡らず、そのまま見ていた。
長谷川さんの普段の経路を聞くと、この横断歩道は通らないことが分かった。手前の路地から戻る方が近く、ここまで出て渡れば遠回りになる。
「この区間を受け持って8年になりますが、夜中にあの横断歩道を渡ったのは、あの日が初めてでした。昼間に買い物で通ることはあっても、配達では用がないんです」
松田さんは、毎晩同じ時刻に信号が変わると聞き、配達のついでに誰か待っているか見てほしかった、と話した。横断歩道を渡るよう頼んだつもりはないという。私に見せた配達メモには、時刻と「確認」の2文字があるだけで、何をどこから見るかは書かれていなかった。

長谷川さんは、バイクを止めて何分も見張るより、その時刻に横断歩道へ着くよう回ればよいと思ったという。青になったら向こう側へ渡り、その先の路地から、いつもの経路へ戻るつもりだった。
「配達を遅らせたくなかったし、頼まれたことも済ませたかった。青になるのを見たら、渡るのが一番早いと思ったんです」
事故の後、松田さんは古い配達員名簿を出してきた。1987年12月2日にも、同じ横断歩道で19歳の配達員がはねられていた。図書館で当時の地元紙を探してもらうと、事故時刻は3時14分ごろだった。白い乗用車は走り去り、方向指示器の破片が現場に残った、と記されていた。
方向指示器は、車が曲がる側を点滅させる灯りだ。今回、戸崎さんが拾ったのも、灯りを覆う橙色のレンズの一部だった。警察から説明を受けた長谷川さんによると、1980年代の車に使われていた形の物だという。私は、古い事故と同じ車種の部品かどうかまでは確認していない。
信号の要求が毎晩入り始めた12月2日は、1987年の事故と同じ日付に当たる。時刻も同じ3時14分だった。
松田さんは、1987年の事故をいつ知ったのか。私が確かめると、信号を見てくるよう頼む前から知っていたと答えた。19歳の配達員がけがをして、長く仕事に戻れなかったことも、前の店主から聞いていたという。長谷川さんには話していなかった。
「昔のことで怖がらせても仕方がないと思って」
では、なぜ自分で行かず、配達員に時刻を指定して頼んだのか。その時間には外に出ている人がいるからだと、松田さんは答えた。店で配達の準備をしていると、3時台に店を空けることはできないという。
信号が毎晩3時14分に変わると、誰から聞いたのかも尋ねた。松田さんは少し考えてから、戸崎さんの名前を挙げた。12月の初め、集金の帰りに声をかけられたという。
「夜中に目が覚めると、窓から信号が見えるそうです。毎晩同じ時刻に青になるから、配達の人に見てもらったらどうか、と言われました」
私は長谷川さんを通じて、戸崎さんに話を聞いた。戸崎さんはこの通りに50年近く住み、夜中に目が覚めることが多い。寝室の窓からは、押しボタンの箱と横断歩道がよく見えるという。信号の話を松田さんにしたことも認めた。
「誰かがいたずらで押しているなら、見つけてもらえると思ったんです」
1987年の事故の夜のことも、戸崎さんは覚えていた。地元紙には、近所の男性が119番したとある。それは自分だった、と戸崎さんは言った。2度とも、衝突音で目を覚ましたという。
今回拾った破片について、戸崎さんは警察に、手の上で点滅して見えたと話している。電球も配線も付いていない、薄い樹脂の欠けらだった。私が聞いたのは戸崎さんの当夜の話だけで、破片が光るところを見たわけではない。戸崎さん自身も、街灯の光だったのかもしれないと言った。
破片を拾い、現場で最初に警察と話したのは戸崎さんだった。信号を確かめるきっかけを作ったのも、2度の事故で119番したのも戸崎さんである。ただ、それは近くに住み、夜中に窓の外を見ていた人なら自然に重なることでもある。戸崎さんが車を持っていないことは、長谷川さんも松田さんも知っていた。私は、戸崎さんの話が事故の原因に関わると言える材料を持っていない。
確かに言えるのは、配達メモの短い頼みが、長谷川さんの経路を変えたことだ。そのことは、松田さんも長谷川さんも同じように話した。1987年の記事を読み直すと、19歳の配達員も、いつもの経路を変えてこの横断歩道へ来ていた。用事は「付近の信号の状態を確かめていた」とある。誰に頼まれたのかは、記事に書かれていなかった。
長谷川さんは休んでいる間、代わりの配達員へ経路を伝えた。地図には、北の横断歩道へ寄る必要はないと書き足している。松田さんも、事故後は夜中の確認を人に頼んでいない。配達メモの余白は、1月21日から空いたままになっている。
1月26日の3時14分、私が見ていた横断歩道の向かいで、戸崎さんの家の2階の窓に明かりがついた。待ち表示が光り、歩行者側が青になると、窓のカーテンが少しだけ開いた。


