桜台三丁目の古新聞の束に関する奇妙な記録

後藤文子さん撮影。雪の積もったごみ置き場に、ひもでしばった新聞の束がいくつも置かれている。

町内のごみ置き場には、読み終えた新聞ではなく、何十年も前の日付の新聞が、真新しい束になって出されることがある。

北都県南條市桜台三丁目のごみ置き場は、十数軒が使う小さな囲いで、古紙は毎週火曜日の朝に回収される。各家は前の晩か当日の朝に、新聞や段ボールをひもで縛って出す。自治会の当番は回収車が来る前に囲いを見回り、崩れた束を積み直す。

2021年12月21日の4時半ごろ、この囲いで新聞の束が燃えた。近くの住民が気づいて119番し、消防が着く前に消火器で消した。周りの段ボールには燃え移らなかった。警察と消防は、誰かが火をつけた疑いがあるとみて調べている。

燃えた束は約30部で、すべて同じ北都新聞の朝刊だった。日付は1984年12月21日。火が出た日の、ちょうど37年前に当たる。

私は12月24日、自治会の当番を務める後藤文子さん(仮名、71歳)に会った。後藤さんは、警察へ渡す前の焼け残りを写真に撮っていた。1面には年末の大雪の記事がある。後藤さんは「紙が新しく見えた」と話したが、写真の外観だけでは、いつ刷られた物かは判断できなかった。

古い新聞が出たのは、この日が初めてではなかった。2021年春から、回収日のたびに、その日のちょうど37年前の朝刊が30部ほど、1束にして置かれていたという。束の中は同じ日付ばかりで、毎日読んだ新聞をまとめた物とは違う。束には新しい白いひもが十字に掛けてあった。誰が出しているのかを見た当番はいない。いつも前の晩のうちに置かれていたらしい。

「初めは、どこかのお年寄りが物置を片付けているんだと思いました。昔の新聞は、読み始めると面白いんです。何人かは持ち帰っていましたよ」

後藤さんも、資料として欲しい人がいるかもしれないと考え、12月14日に出された1束を家に残していた。ほかの当番は、そのまま回収に出していたそうだ。北都新聞に問い合わせたところ、古い朝刊を刷り直して配ったことはない、という回答だった。

火事の後、後藤さんは残していた束を開いた。どの部も同じ位置で折られ、地方欄が内側に来ている。そこに、町内の会社で金がなくなり、社員の小川俊文さんが調べを受けている、という短い記事があった。

俊文さんはすでに亡くなっているが、家族は今も近くに住んでいる。後藤さんは名前を見て、家族へ連絡した。俊文さんの娘の和恵さん(仮名、49歳)は、古い記事が残っていたことより、同じ新聞が30部もあることに驚いたという。

「父の記事を誰かが取っておいたのなら、まだ分かります。でも30部です。人に読ませるための数だと思いました」

私は和恵さんの了承を得て話を聞いた。1984年の冬、和恵さんは小学6年生だった。

「父はしばらく会社に行かず、家にいました。近所の人が急に挨拶をしなくなったのを覚えています。年が明けて疑いが晴れても、元どおりにはなりませんでした」

俊文さんへの疑いは、後に晴れたそうだ。それがどう報じられたかを知るため、南條市立図書館で北都新聞の綴じ込みを調べた。1985年1月11日の地方欄に続報があり、別の人物の関与が分かって、俊文さんについては疑いがなくなったと書かれていた。

束が37年前の日付を1週ずつたどって出されるなら、年が明けるとこの続報の日の新聞になる。和恵さんは、その日の束も出されるのか確かめたい、と話した。後藤さんはほかの当番にも頼み、その日付の束が来たら回収へ出さずに残してもらうことにした。

2022年1月11日の朝、1985年1月11日付の束が出た。翌12日、私は図書館で取った紙面の写しを持って、後藤さんの家を訪ねた。和恵さんも来ていた。机に広げた2つの紙面は、1面の見出しも広告も同じで、端にある版の表示もそろっていた。

違っていたのは、地方欄の小さな区画だった。図書館の紙面では、疑いが晴れたことを伝える記事がそこに載っている。ごみ置き場の新聞では、同じ場所に何も印刷されていない。紙は切り抜かれておらず、両側の記事を区切る線の間に白い面が続く。束のほかの部を開いても同じだった。

後藤さんは、新聞社へ尋ねるときに見せようと、その区画を近くから撮った。下は、そのときの写真である。

後藤さん提供。新聞の地方欄にある、何も印刷されていない区画の接写。紙の繊維が続き、両側には記事を区切る線がある。
後藤さん提供。2022年1月に出された束の地方欄。1月12日、和恵さんが書き込む前に撮った。両側の記事の間に、文字のない紙面が続いている。

新聞の紙面に、記事1本分の空白が残ることはまずない。私は、1980年代に北都新聞の印刷工場で紙面の版を作っていた戸張恒雄さん(74歳)に、2つの紙面を見てもらった。

「うちは1988年まで、活字を組んで刷っていました。活字を紙に押しつけるので、裏から指でなぞると、字のところがわずかに盛り上がっているんです。字の縁にインクがたまるのも、あの刷り方の癖です」

図書館の綴じ込みは、裏から触ると確かに細かい凹凸があった。ごみ置き場の新聞は、どこを触っても平らだった。戸張さんがルーペで見ると、字は細かい点の集まりでできていた。今の複写機や大判の印刷機で刷った物だという。

「本物の紙面を写し取って、新しい紙に刷ったんでしょう。その途中で、この記事だけを消している。空いた所をほかの記事で埋めていない。手間のかかる仕事ですよ。毎週30部となれば、紙代だけでもかなりかかります」

印刷所の試し刷りが流れ出た可能性も尋ねた。戸張さんによると、版を組む途中で記事の場所を空けたまま刷ることはあった。ただ、それは活字で刷った紙で、凹凸がある。広告まで入り、版の表示もそろった紙面に、記事1本分だけが欠けた試し刷りは見たことがないという。

束は、刷り直された写しだった。それを作った人は、続報の記事だけを消して出していた。疑われたという記事は残し、疑いが晴れたという記事は読ませない。

束が出始めた2021年春は、37年前に数えると1984年の春に当たる。会社の金がなくなる半年以上前で、その間の紙面に俊文さんの名前はない。近所の人は、害のない古新聞として束を手に取り、持ち帰ることに慣れていった。12月に記事の載った日付が回ってきたとき、それを開く人はすでにいた。

和恵さんは、誰が12月14日の束を読んだのかを後藤さんに尋ねた。火事の後、後藤さんは焼け残りの写真と一緒に、家に残していたその束も近所の人に見せていた。知っている名前が載っていると伝えるつもりだったという。後藤さんは見せた相手の名前を挙げ、まだ続報を伝えていない人には自分から連絡すると答えた。

誰がこの写しを作ったのかは分かっていない。束を置いた人と火をつけた人が同じかどうかも不明で、警察は両方について情報を求めている。後藤さんは和恵さんの了承を得て、2つの束と戸張さんの話を警察へ伝えることにした。

和恵さんは、少なくとも手元の1部には続報の内容を添えておきたいと言った。後藤さんが貸した鉛筆で、紙面上端の余白に「1月12日」と記し、白い区画に「小川俊文氏への疑いは晴れた」と書いた。平らな紙に、鉛筆を押しつけた浅いくぼみが残った。

帰る前に、和恵さんは、俊文さんが当時の続報を会社へ持っていったことを教えてくれた。家には残っておらず、今回の束から1部もらえたらと思っていたという。

後藤さんが、別の1部なら持ち帰れると言って束へ手を伸ばすと、和恵さんは首を振った。図書館の写しを自分のかばんに入れ、日付を書いた新聞は机に残した。

「欲しい人がいても、そのまま渡さないでください」

後藤さんは残りの束をひもで縛り直し、和恵さんが書き込んだ1部を、その一番上に載せた。

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