町内会の総会の議事録には、その場で発言しようとした人の言葉が、一行も残らないことがある。
北都県南條市のある町内会では、毎年4月の第1土曜に集会所で総会を開く。前年度の会計報告と今年度の役員選任が主な議題で、役員の案は会長が用意し、出席者の拍手で承認する。終わると会長が議事録を書き、出席者から選んだ2人の署名人が名前を書く。異議が出なければ「異議なし」とだけ記される。
町内会の会計担当、脇浜知江さん(仮名)は、小型の拡声器を返した後も、自分の声が変わらないようにしたいと言った。電源コードを抜いても、前面の音量つまみを左へ回すと、口から出る声が小さくなるという。私は2024年4月8日の月曜日、その集会所で、機材を引き取りに来た会長の浅枝春行さん(仮名)と一緒に、その声を聞いた。
拡声器は浅枝さんの私物だった。四角い箱にスピーカーが収まり、前面に電源スイッチと音量つまみがある。手に持つマイクは、コードで箱へつなぐ。4月6日の総会では、声の小さい脇浜さんが会計報告をするために、浅枝さんが持参していた。
脇浜さんは昨年から会計を担当していたが、この春から仕事の勤務日が増えるため、次の人へ交代したいと浅枝さんに伝えていた。総会では、前年度の収支を報告した後、交代の相談をするつもりだったという。
「4月から勤務が週5日になります。領収書を貼って帳簿を付ける夜が、なくなるんです。会長には3月に2回、口で伝えました。紙で出してくれとは言われませんでした」
会計報告が終わると、浅枝さんは、今年度も同じ役員で続けたいと出席者へ話した。脇浜さんがマイクを持ち直したところで、声が小さくなった。喉へ力を入れても、隣の席に届かなかったという。浅枝さんは、その時に音量を下げたことを認めている。報告が終わったので、次の議題へ進むためだったと説明した。
脇浜さんはマイクを机に置き、立って話そうとした。それでも声は戻らず、息が漏れる音しか聞こえなかったという。浅枝さんは役員案への拍手を求め、会を閉じた。出席者が椅子を片付ける間に、脇浜さんは手帳へ「会計は続けられません」と書き、浅枝さんへ見せた。
浅枝さんは、喉を休めてから改めて話そうと言った。拡声器の故障を疑い、電源をいったん切った。音量つまみを右へ戻すと、脇浜さんの「待ってください」が急に大きく聞こえたという。
2人は電源コードをコンセントから抜き、マイクのコードも外した。つまみを右へ回すと脇浜さんの声が大きくなり、左へ戻すと小さくなった。脇浜さんの息遣いや、机を指でたたく音は変わらなかったと2人は話した。
その日は普通に話せる位置でつまみを止め、拡声器を集会所に残した。浅枝さんは家へ持ち帰って中を調べるつもりだったが、脇浜さんに、勝手に触らず一緒に確かめてほしいと頼まれた。翌7日、脇浜さんから私へメールが届いた。
8日に私が着いた時、拡声器は長机の上にあり、2本のコードは脇に巻いてあった。浅枝さんは箱を持ち上げ、背面と底を見せた。電池を入れる所はなく、コンセントから電源を取る機種だった。前面の電源ランプは消えていた。
脇浜さんは私の隣へ椅子を寄せ、マイクを持たずに挨拶した。浅枝さんがつまみを少し右へ回すと、挨拶の途中から声が大きくなった。スピーカーの網へ耳を近づけても、そこからは声がしない。私が脇浜さんへ顔を戻すと、本人の口元から、その続きが聞こえた。
浅枝さんがつまみを左へ回すと、声が小さくなった。最後まで回す前に、脇浜さんは手を上げた。浅枝さんはその位置で止め、すぐに右へ戻した。脇浜さんは普段の声で、これ以上小さくしないでほしいと言った。私の声と浅枝さんの声は、その間も変わらなかった。
本人が合わせて声を変えている可能性を考え、今度は私がつまみに触れた。2人からは、私の手元が箱に隠れて見えない向きにした。脇浜さんが「あ」と声を続けている間に、私はつまみをわずかに左右へ回した。口から聞こえる音が、私の指に合わせて大きくなったり小さくなったりした。浅枝さんも、本人のすぐ横で聞いていた。私は元の位置へ戻し、そこで手を離した。
喉の不調の可能性も確かめた。脇浜さんは7日の朝に近くの耳鼻科を受診し、声帯に腫れや傷はないと言われていた。診察の領収書も見せてもらった。総会の前日まで、職場でも家でも、声が出なくなったことはなかったという。
音量つまみが変えるのは、通常なら機械から出る音の大きさである。この箱では、電源を入れず、マイクを外しても、脇浜さんの口から出る声が変わった。どうして本人だけに作用するのかは分からない。箱を分解した後にどうなるかも確かめていない。
脇浜さんは、普通に話せる位置の目印として、音量つまみの脇へ短い白いテープを貼った。私は2人に断り、集会所の長机と、その上に残っている拡声器を撮った。続けて、前面のつまみと、外されたコードが一緒に見える位置から撮影した。

箱の仕組みとは別に、私は総会で何が決まったことになっているのかを確かめた。集会所の棚には、浅枝さんが前日に書き上げた議事録があった。役員選任の欄には「全役員留任 拍手により承認 異議なし」とあり、会計の欄に脇浜さんの名前があった。署名人の一人、総会で脇浜さんの斜め向かいに座っていた永目悦子さん(仮名、68歳)に、後で話を聞いた。
「脇浜さんが何か言おうとしていたのは見えていました。でも聞こえないから、異議とは言えないでしょう。会長に署名を頼まれて、そのまま書きました」
永目さんは、3年前の総会でも同じような場面があったと話した。当時の会計だった樋渡房子さん(仮名)が交代を申し出ようとして、声がかすれ、話の途中で座ったという。その年も役員は全員留任となり、樋渡さんは翌年、町内から転居した。拡声器がその日も使われていたかを、永目さんは覚えていなかった。転居の前、樋渡さんは永目さんに「会長の前だと、声が出なくなる」と話していたという。
議事録の綴りをさかのぼると、2021年4月の総会の欄にも「全役員留任 拍手により承認 異議なし」とあった。筆跡は今年と同じで、署名人の一人は永目さんだった。会計の欄には樋渡さんの名前があり、その年の途中で、別の人の名前に書き直されていた。
私は浅枝さんに、6日の総会で脇浜さんがまだ話そうとしていることに気づいていたか尋ねた。浅枝さんは、会計報告の続きだと思ったと答えた。収支についてはすでに質問を受け、説明も済んでいた。役員が足りないので、交代の話は総会の後で個別に相談したかったという。
「声を止めたつもりはないんです。マイクを下げただけで」
浅枝さんは、拡声器を自分の方へ引き寄せた。電源コードと、マイクにつながるコードは、机の上で巻かれたままだった。脇浜さんは浅枝さんへ向き直った。
「総会の後でも、続けられないと」
浅枝さんが音量つまみをつかみ、白いテープで印を付けた位置から左へ回した。脇浜さんの声は文の途中で小さくなり、唇は動いていたが、続きを聞き取れなくなった。
浅枝さんは私を見て、さっきと同じ声の大きさで言った。
「先に、こちらの説明を終わらせてもらえませんか」
私はつまみを白い目印へ戻した。脇浜さんの声が戻り、「今年度は、続けられません」と聞こえた。
浅枝さんは電源コードを束ね直し、拡声器の上へ置いた。棚の議事録には、まだ脇浜さんの名前が会計の欄に残っている。
「これは、うちの物ですから」
浅枝さんは私へそう言い、箱を引き寄せようとした。脇浜さんは箱の上へ手を置いた。


