長く連れ添った夫婦の家では、食卓のどこに誰の箸を置くかが決まっていることが多い。片方が亡くなった後も、その箸が食器棚の同じ段に残っていることがある。
稲枝美代さん(仮名、64歳)は、義兄の家から帰る前に、自分の名前を呼んでもらう。義兄が亡き妻の名で美代さんに呼び掛けると、顔がその妻に似た形へ変わる。自分の名で呼び直されるまでは、姉の顔で食卓に座っていることになるという。
義兄は久保垣正隆さん(仮名、71歳)といい、美代さんの姉、綾子さん(仮名)の夫に当たる。綾子さんは2022年に68歳で亡くなった。入院先で亡くなるまでの数か月、正隆さんは毎日見舞いに通ったという。美代さんは月に1、2度、北都県南條市にある正隆さんの家へ行き、一緒に昼食を取っていた。
美代さんによると、初めて顔が変わったのは今年の5月15日だった。台所から茶を運んでいると、正隆さんが「綾子、そこへ置いて」と言った。姉と名前を間違えられることは、それまでにもあった。返事をせずに茶を置いたところ、正隆さんは急に立ち、美代さんの顔へ手を伸ばした。姉の名を何度も呼び、美代さんが「美代ですよ」と言っても、頬をのぞき込んでいた。姉と同じ顔になっている、と説明されたのは、その後だった。
美代さんは持っていた化粧用の鏡で顔を確かめ、正隆さんに、自分の名前を呼ぶよう頼んだ。「美代さん」と呼ばれると、丸かった頬が戻り、あごの先が細くなったという。5月29日にも同じことがあった。その日は、名前で呼び直してもらうまで1時間近くかかった。正隆さんはその間、姉の好きだったテレビ番組をつけ、2人で行った旅行の話をしていたという。
翌月、私は美代さんから、一緒に義兄の家へ行ってほしいと連絡を受けた。正隆さんにも電話し、2人の話を記事にする了承を得た。顔の写真は載せず、室内や食事の支度を撮る範囲で取材することになった。
6月12日、水曜日、家の近くで美代さんと会った。手には煮物を入れた角形の容器があった。ここへ来なくすることも考えたが、姉の昔話を正隆さんとする時間までなくしたくはないという。正隆さんが一人になってから、月に1、2度の昼食は美代さんの方から言い出したことだった。美代さんは、自分の家族にはまだこのことを話していない。夫に話せば、義兄の家へ行くのを止められると思っているからだ。
家に上がると、正隆さんは台所に立っていた。食卓には向かい合わせに2人分の敷物があり、私には脇の椅子を勧めた。昼食は2人で取り、私は話を聞きながらお茶をもらう。配膳前の食卓を撮るとき、台所の壁に掛かった暦が目に入った。5月15日、5月29日、6月12日の欄に、正隆さんの字で「綾」と書いてある。美代さんが来た日、来る日だった。私はそのことを、まだ口にしなかった。
正隆さんは、綾子さんと美代さんが並んだ写真を持ってきた。3年前、親戚の食事会で撮ったものだという。美代さんは細いあごをしていた。隣の綾子さんは頬が丸く、右の目尻が左より少し下がっていた。
「今日は、美代さんの顔のままで食べましょう」
正隆さんは写真を棚へ戻し、美代さんへそう言った。美代さんはうなずき、持ってきた容器を開けた。中には大根と鶏肉の煮物が入っていた。私は断って、開いた容器と、2枚の取り皿を撮った。

美代さんが煮物を分けていると、正隆さんが炊飯器から顔を上げた。
「綾子、ご飯はこのくらいでいいか」
美代さんのあごが横へ広がった。頬の下側も膨らみ、右の目尻がゆっくり下がった。私は斜め隣から顔を見ていた。窓の光の向きも、私の座る位置も変わっていない。美代さんは取り分けた大根を皿へ下ろし、空いた左手で自分の頬を押さえた。その指の下でも輪郭が動き、先ほど写真で見た綾子さんに近い顔になった。表情を作っただけなら、右の目尻だけが下がることはないはずだ。5月15日の美代さんも、鏡を見るまで顔が変わったことに気づいていなかった。
美代さんは髪を耳に掛け、正隆さんを見た。正隆さんは茶碗を持ったまま立っていた。
「また呼んだでしょう」
声は、家の近くで話していたときと同じだった。正隆さんは、うっかりしたと答えた。美代さんは私を向き、いま自分の名を呼んでほしいと言った。私が「美代さん」と呼ぶと、頬が細くなった。右の目尻が上がり、初めに会った顔へ戻った。呼ぶのが正隆さんでなくても、名前で戻ることが分かった。
顔が変わっている間のことを尋ねると、美代さんは、あごの辺りが張る感じはするが、ここで話していることも、何をしに来たかも覚えていると答えた。正隆さんも、声や話す内容は美代さんのままだと言った。
「姉は右利きでした。私は子どもの頃から左です。さっきも、こっちで分けていたでしょう」
美代さんは左手を上げた。正隆さんはうなずいた。2人は以前から、その違いを知っていた。ご飯が並ぶと、美代さんは右側に置かれた箸を左へ移した。正隆さんは向かいへ座ったが、食べ始めず、美代さんを見ていた。
「綾子」
今度の正隆さんは、向かいの席から美代さんの顔をまっすぐ見たまま呼んだ。美代さんの箸が止まった。あごの形が再び変わり、頬が丸くなった。美代さんは箸を置いた。
「今のは、間違えたんじゃないでしょう」
正隆さんは返事をせず、自分の茶碗を持ち上げた。私は暦のことを思い出していた。「うっかり」の呼び間違いなら、来る前の日付に名前を書いておく必要はない。正隆さんは美代さんが来る日を、初めから「綾」の日として待っていたようにも読める。私は正隆さんに、暦の「綾」の字のことを尋ねた。正隆さんは、美代さんが来る日に印を付けているだけだと答えた。綾子さんが元気だったころは、妻の用事のある日を「綾」と書いていた。その癖が残っているだけだという。私は2つの説明のどちらも、その場では確かめられなかった。美代さんはしばらく正隆さんを見ていたが、やがて左手に箸を持ち直し、煮物の大根を口へ運んだ。
正隆さんは茶碗を下ろすと、台所の食器棚から別の箸を持ってきた。短い赤い箸だった。美代さんが使っている箸を取ろうとはせず、空いている右手の前へ差し出した。
「こっちで持ってくれるかな」
美代さんは飲み込んでから、右手ではうまく食べられないと答えた。赤い箸が綾子さんの物だったことは、美代さんも知っていた。姉が亡くなった後も、食器棚の同じ段に残っていたという。
「食べなくてもいいから。少し持っていて」
正隆さんは赤い箸を、美代さんの右側へ置いた。自分の席に戻り、もう少し顔を上げてほしいと言った。
美代さんは左手の箸も置いた。赤い箸には触れず、食卓の下から手提げを取った。
「今日は帰ります。私の名前で呼んでください」
正隆さんは茶碗を持ち直したが、何も言わなかった。美代さんは椅子を引き、私へ一緒に出てほしいと言った。私が名前を呼ぼうとすると、食卓から「美代さん」と声がした。
美代さんの頬が戻った。正隆さんはその顔を見て、茶碗へ目を下ろした。美代さんは、煮物の容器は次に持って帰ると言い、私と玄関へ向かった。台所の暦の前を通るとき、美代さんは6月12日の欄の「綾」の字を一度見たが、何も言わなかった。
玄関で靴を履いている間、食器の触れ合う音がした。振り返ると、正隆さんは美代さんの席の手前へ身を乗り出し、左側にあった箸を取り上げていた。右側の赤い箸と、ほとんど減っていないご飯は、その席に残っていた。


