地方の小さな食品店では、買った品に不具合があると、客が電話をしてから店へ持ってくることが多い。店主は品を見て、代金を返すか取り替えるかを決める。開けてしまった品は、返品を断られることもある。卵が割れていたり、傷んでいたりすれば、家で割った1個を見せれば済む。
返品に来た客が食品店で卵を割ると、両腕で抱えるほどのニワトリが出てきた。北都県南條市内の小さな食品店で、2024年12月7日の昼、私はそれを見た。私は買い物に来ていて、客の後ろで会計を待っていた。店主の木積義保さん(仮名、59歳)とは以前、商店街の取材で話をしたことがある。この日は取材の約束をしていなかった。
「中身を見ないと、分からないでしょう」
客の日沼敏和さん(仮名、66歳)は会計台へ、卵のパックを置いた。1か所が空で、白い卵が5個残っていた。木積さんが、家で割ったという卵の方はないのかと尋ねると、日沼さんは家の台所に置いてきたと答えた。
日沼さんは前日にこの店で卵を買っていた。その朝、目玉焼きにしようと1個割ると、ニワトリが出てきたという。生まれたてのひなの姿はしておらず、成鳥の大きさだった。台所の戸を閉め、残りを持ってきたと説明した。木積さんは来店前に電話を受けていたが、そのときは、卵の中に鳥の形をした物が入っていたという話だと思った。「中身を見ないと分からないので、持ってきてください」と頼んでいた。店で扱っているのは、ひなにならない無精卵である。血の筋か何かを見間違えたのだろうと考えていたという。日沼さんは、残った5個も同じだろうから、店で割って確かめてほしいと言った。
木積さんはパックを会計台の奥へ寄せ、台所から小さなボウルを持ってきた。白い卵を1個取り、ボウルの縁へ軽く打ちつけた。私は横へずれ、木積さんの両手を見ていた。
殻の割れ目に指を掛けると、間から黄色いくちばしが出た。木積さんは両手を止めた。くちばしの上へ赤い鶏冠が現れ、白い羽のある頭が起きた。頭は卵の殻より大きくなっていたが、首の下はまだ木積さんの指の間にあった。木積さんが卵をボウルへ下ろす間に、首の後ろから羽の生えた背中が続いた。白い胴がボウルの縁を越え、両側へ翼が開いた。木積さんの左右の手には、小さな殻が1片ずつ残っていた。その間から黄色い脚が抜けた。
ニワトリはボウルの縁を蹴って床へ飛び下り、私の靴の先を避けて棚の方へ歩いた。会計台には白い殻と横倒しのボウルが残った。黄身や白身は流れていなかった。木積さんは卵を手の中へ隠したり、台の下へ下ろしたりはしていない。床のニワトリは首を伸ばすと私の膝に近い高さがあった。
「これです。うちにいるのも」
日沼さんは棚の手前のニワトリを指した。木積さんは入口の引き戸を閉め、店の前に来た客には、いったん休むと伝えた。私も買い物袋を持って通路の端へ寄った。木積さんは、代金は返し、残る4個も店で引き取ると言った。家の1羽については仕入れ先と相談するので、これ以上割らずに待ってほしいと頼んだ。
日沼さんは財布を出さなかった。パックを自分の方へ引き、残りはまだ見ていないと言った。木積さんが、割らなくても代金は全部返すと言うと、自分が話しているのは中身のことだと答えた。日沼さんはしゃがみ、卵を床へ当てた。赤い鶏冠が指の間を押し上げ、もう1羽が両足で床に立った。その後も日沼さんは、木積さんが空の段ボール箱を横に置く間に、残りの卵を1個ずつ床で割った。どの殻からも、白いニワトリが1羽ずつ出た。5羽になったニワトリは、通路を歩き回り、米袋の角をつついたり、冷蔵ケースのガラスに映る自分を見上げたりしていた。木積さんは1羽ずつ抱えて箱へ入れ、ふたの代わりに新聞紙を掛けた。
木積さんは仕入れ先の養鶏場へ連絡し、同じ日に仕入れた卵も売場から下げた。夕方、養鶏場の人が来て、店のニワトリを箱に入れて引き取った。私はその後、2人から改めて話を聞き、店内の写真を撮る了承を得た。空いた会計台と、床に残る殻を撮った。日沼さんの家の1羽は見ておらず、店のほかのパックも開けていない。

撮影の後、木積さんは会計台の引き出しから、大学ノートを1冊出した。返品や苦情を受けた日を書き留めている帳面だという。11月の頁に、日沼さんの名前があった。
「日沼様 牛乳 開封後の返品 断る 以後返品お断り」
11月の半ば、日沼さんは買った牛乳が酸っぱいと言って、開けた瓶を持ってきた。木積さんは、開けた後のものは家での保存のせいもあると言い、受け取らなかった。日沼さんがその場で声を荒らげたので、帳面の最後に「以後返品お断り」と書き足したという。そのことは、日沼さんにも口で伝えていた。
日沼さんは妻を亡くしてから8年、1人で暮らしている。この店には20年近く通っていて、卵と牛乳はいつもここで買っていた。牛乳の件の後も、ほかの店へは行かなかったという。
日沼さんは、その日の牛乳は、家で開けてすぐに匂いがおかしかったと話した。木積さんが瓶を見ずに断ったのだと言った。今朝の電話で「中身を見ないと分からない」と言われたとき、その日のことを思い出したという。
「見せたって、また家のせいにされると思ったんです。だから、全部ここで割ってもらおうと」
木積さんは、牛乳の瓶を開けて匂いを確かめなかったことを認めた。返品を一度受けると、ほかの客からも同じことを言われると思ったという。商店街のほかの店でも、開けた品は受けないことにしている、と付け加えた。
日沼さんは、ニワトリが出たことより、それを店の床で見てもらえたことの方に用があったのだと話した。家の台所の1羽は、写真に撮っても信じてもらえないと思っていた。電話を掛ける前に、どこまで言うかを紙に書いてから掛けたという。その紙は、上着のポケットに入っていた。日沼さんは広げて見せてくれた。鉛筆で「卵 1個割った 鳥が出た 残り5個」「見ないと分からないと言われたら、持っていく」と2行だけ書いてあった。
帳面には、ほかにも「以後返品お断り」と書いた名前が2つあった。どちらも年配の常連客で、木積さんはこの日、その2人の行も読み返していた。開けた品を見ずに断ったのは、その2回も同じだったという。
私は、日沼さんが床で卵を割り続けたとき、木積さんがなぜ手首をつかまなかったのかを尋ねた。木積さんは、つかんだら、また自分が見ずに止めたことになると思った、と答えた。
木積さんによると、養鶏場の人は、引き取ったニワトリを調べると言ったが、同じ日の卵からほかに苦情は来ていないという。私は養鶏場の人から直接は話を聞いていない。日沼さんの家の1羽も、翌日に養鶏場が引き取りに行くことになった。
日沼さんは、家の1羽が引き取られる前に、少しだけ米をやっておくと言った。台所の床に新聞紙を敷き、小皿に水を入れて置いてきたという。
木積さんは帳面を開いたまま、ボールペンを取った。11月の「以後返品お断り」に横線を2本引き、今日の日付の下へ「卵 6個 返品受ける 店で確認」と書いた。日沼さんは会計台越しにそれを見ていた。
木積さんは、牛乳の代金も返すと言い、レジから小銭を出した。日沼さんは卵の代金と一緒にそれを受け取り、財布へ入れた。それから帳面を自分の方へ向け、横線の引かれた行を指でなぞった。読み終えると、帳面を閉じ、会計台の上を木積さんの方へ滑らせた。


